ROB SMITH Interview (2010)

2010年発行のレゲエ雑誌『ROVE』31号の特集「CROSSOVER REGGAE」掲載のRob Smithインタヴュー。
SMITH & MIGHTYとして、イギリスのクラブ・ミュージックの発展に大きな貢献をしたROB SMITH。パンクやレゲエのバンドから音楽活動をスタートし、グラウンド・ビート、レイヴ、ジャングル、ダブステップと、彼の音楽の進化はそのまま英国のクラブ……いや反抗音楽の歴史でもある。20年以上に渡って、リスペクトを集めながらもその前線に立つ彼に、ルーツ、そしてクロスオーヴァーについて話を訊いた。
――最初にレゲエに魅了されたのはいつ頃ですか?
「いちばん最初のレゲエの思い出といえば11歳くらいの学生時代だね。学校では、年上の女の子たちが昼休みの社交室でレゲエの7インチをかけてたんだよね。歌をかけて、今度はレコードを裏返して“ヴァージョン”をかけるんだ。そのヴァージョンのサウンドにすっかり魅了されたよ! その当時は、それがダブだなんて知らなかったんだけど。」
――これまで親しんできた音楽と違って、ロブがレゲエに惹かれた理由は何でしょう?
「最初はベースというわけではなかったね。だって、家や学校のレコード・プレイヤーは小さいスピーカーで、録音の中にヘヴィな周波数が入ってるなんて気付かなかったし。ドラムのパターンやカリッとしたギター、それにヴォーカルのメロディが好きになったんだ。スカンキンなギターの音、エコーの洪水が大好きだったよ。」
―― その頃、レゲエはブリストルではポピュラーだったんですか?
「その当時は他の人もレゲエが好きか分らなかったね。仲のいい友達は殆ど興味を持ってなかったな。それから、LPのコレクションを持っていた年上の友人がビッグ・ユースやスキン・フレッシュ・アンド・ボーン、I・ロイなんかを教えてくれて……いま思えば重要だったね。」
――70~80年代、イギリスではパンクとレゲエが親密な関係にありました。それをロブはどんな風に感じていましたか?
「パンクやレゲエといった音楽は、ともに“アウトサイダー”とか“レベル”な音楽として考えられていたんじゃないかな。それが互いを引きつけていたんだと僕は思うよ。多くのバンドが一緒にツアーを回って、レゲエのバンドがパンクのバンドと同じ会場でやるなんてこともしょっちゅうだったし、DJはバンドとバンドの間にパンクやレゲエ(ときにはファンクもね)をプレイしてた。
僕にとっては両方のサウンド/ムーヴメントも重要で、『自分の考えを持て』というメッセージを感じていたよ。それとは別に、パンクとレゲエの両方がライフスタイルとキャリアとして音楽に関わるためのインスピレーションをくれたね。」
――ブリストルも同じ状況でしたか?
「よその街も同じだったかは分らないけど、ブリストルでは、音楽に対して近い考えを持っている人たち同士で絆を築いていたと思うよ。クラブは、人が会ってアイデアを交換する場所になっていたんだ。別々の音楽的コミュニティがオーバーラップして、人々やバンドの間で考えやアイデアが膨らんでいった。僕は、所謂ブリストル・ミュージックのパイオニアたちの殆どが似たような経験をしていると思う。思い返せば、この頃のことがブリストルの音楽的発展の強い基盤を築いたんだと思う。」
――ロブもパンクやレゲエ・バンドをやってきて、そこから打ち込みのサウンドに興味が移っていきますが、そのきっかけは何でしょうか?
「レゲエ・バンドにいた頃には、スタジオの機材でレコーディングやミキシング、そしてダブに関わる機会もあったりしたんだけど、だんだんとバンドで演奏することよりもそっちに熱中していっちゃったんだ。自分の曲で多重録音とかも始めて、最終的にダブ・ミックスもできるようになった。友達のレコーディングを世話したときに、ローランドのドラム・マシーンをスタジオで見つけて、3~4時間ひたすらビートを作ってはソングをプログラムするやりかたを覚えていったよ。そんな経験は初めてだったんだ!」
――ヒップホップというのも影響は大きいでしょうか?
「うん。ブリストルではみんなに大きな影響を与えているよ。カーティス・ブロウがブリストルにプレイしに来たときのことをよく覚えてる。次の日にはみんなDJになりたがってたんだ! みんなスクラッチしようとして、ボール紙でスリプマットを作ったり、2つのレコード・プレイヤーを繋ぐ方法を工夫してた。」
――SMITH & MIGHTYは、レゲエ/ダブ、ソウル、ヒップホップやブレイクビーツ、ハウス・ミュージックをクロスオーヴァーしたサウンドを生み出してきたと思いますが、自身ではどんな風に思っていますか。
「ある意味、頑に、そしてレゲエを根っこにしつつ、他のスタイルをミックスしていこうとしているからだと思う。僕は全ての音楽に“ダブ”を見い出したいんだ。ハウスがちょっとステッパーズっぽく聴こえたら、僕らはハウス・ダブのようなものを作った。ブレイクビーツにレゲエ・ギターの音やエコー、ベース・ラインを乗せて、ヒップホップ・レゲエのようなものも作った。ラヴァーズ・ロックや60年代のソウルも好きだったから、女性ヴォーカルやストリングスも入れようとしたりね。
似たようなサウンドにトライしていた人たちもいたけど、僕らはサウンドに無意識ではあったけど完璧なヴィジョンを持っていた。それは僕らの歴史……レゲエ、サウンドシステム、それに子供の頃からの音楽や記憶、それらが混ぜ合わさった音楽。それが僕らのサウンドの個性になっていると思う。」
――SMITH & MIGHTYが15年以上も前に作った曲が、今のダブステップのプロデューサーたちから再評価され、再発までされたりする理由は何故だと思いますか?
「人生って不思議だよね。僕が『ブレイン・スキャン』(86年)を聴いたとき、自分ですらダブステップっぽいとビックリしたよ。多分、物事は円が回るように発展していくってことなんだろうね。」
――SMITH & MIGHTYをはじめ現在のソロRSDまで、色んな名義で音楽を作ってきましたが、その中に一貫した物があるとしたら何ですか?
「ダブかな。僕は音楽とプロダクションをダブとレゲエ・ミュージックから学んだし、いまだにはっきりしたアプローチでもある。色んな味を盛り込みたいけれど、その成り立ちいつでもダブスタイルなんだ。
僕は自分の音楽を、純粋なスタイルに閉じ込めたくないんだ。単なるレゲエ、とか。感じたりインスパイアされたものを反映した音楽にしたいんだ。」
――ずばり、ダブステップはレゲエの進化形だと思いますか?
「う~ん。実際にレゲエに影響されたダブステップというのも多いし、いくつかの曲は新しいレゲエ“的”なサウンドもあるよね。でも、ダブステップってジャンルはすごく幅広いし、まったくレゲエっっぽくない曲もある。プロダクションの面からいうと、ダブのアティチュードというのは確かにある。でもダブステップのルーツは直接的にレゲエから来ているものではないと思うよ。ジャングルがレゲエをルーツにしているかも、というのとは少なくとも違うよね。」
――現在のイギリスのレゲエ・シーンはどのような感じでしょうか? それぞれの街で特色のような物はあるのでしょうか? また、ピュアなレゲエのみを演奏するサウンドシステム/バンドと、そのほかのジャンルとの交流のような物はあるのでしょうか?
「今は良い状況だと思うよ。ダブステップ経由でそのサウンドを知った若いオーディエンスが新しく増えているしね。イギリスの多くの都市で、レゲエとダブステップを混ぜたイヴェントがあるんだ。リーズのアイレイション・ステッパズは、ダブ、レゲエとダブステップのレギュラー・イヴェントをやって、全部を同じへヴィなサウンドシステムで鳴らすんだよ。」
――ロブは世界各地でDJをし、色んなレゲエのシーンを見てきたと思います。共通点も含め、何か面白い例などがあれば教えてください。
「世界中で、レゲエはいつでも人気があると思うよ。多くのレゲエ・フェスが毎年大盛況で開かれている。まるでインターナショナルなクラブのようだよね。それらのフェスは60年代のヒッピー・ムーヴメントに似ているような気がする。ピース、ラヴ、そして音楽がそのインスピレーションの中心なんだ。」
――どうしてレゲエという音楽がここまで世界各地で愛されていると思いますか?
「レゲエはシンプルで誠実な音楽だからだと思うよ。そのリズムは伝染し易い。その起源は普遍的な愛についてであって、ネガティヴなことを乗り越えていくことなんだ。これは決して間違えることがない公式なんだよ。」
――最初にレゲエに魅了されたのはいつ頃ですか?
「いちばん最初のレゲエの思い出といえば11歳くらいの学生時代だね。学校では、年上の女の子たちが昼休みの社交室でレゲエの7インチをかけてたんだよね。歌をかけて、今度はレコードを裏返して“ヴァージョン”をかけるんだ。そのヴァージョンのサウンドにすっかり魅了されたよ! その当時は、それがダブだなんて知らなかったんだけど。」
――これまで親しんできた音楽と違って、ロブがレゲエに惹かれた理由は何でしょう?
「最初はベースというわけではなかったね。だって、家や学校のレコード・プレイヤーは小さいスピーカーで、録音の中にヘヴィな周波数が入ってるなんて気付かなかったし。ドラムのパターンやカリッとしたギター、それにヴォーカルのメロディが好きになったんだ。スカンキンなギターの音、エコーの洪水が大好きだったよ。」
―― その頃、レゲエはブリストルではポピュラーだったんですか?
「その当時は他の人もレゲエが好きか分らなかったね。仲のいい友達は殆ど興味を持ってなかったな。それから、LPのコレクションを持っていた年上の友人がビッグ・ユースやスキン・フレッシュ・アンド・ボーン、I・ロイなんかを教えてくれて……いま思えば重要だったね。」
――70~80年代、イギリスではパンクとレゲエが親密な関係にありました。それをロブはどんな風に感じていましたか?
「パンクやレゲエといった音楽は、ともに“アウトサイダー”とか“レベル”な音楽として考えられていたんじゃないかな。それが互いを引きつけていたんだと僕は思うよ。多くのバンドが一緒にツアーを回って、レゲエのバンドがパンクのバンドと同じ会場でやるなんてこともしょっちゅうだったし、DJはバンドとバンドの間にパンクやレゲエ(ときにはファンクもね)をプレイしてた。
僕にとっては両方のサウンド/ムーヴメントも重要で、『自分の考えを持て』というメッセージを感じていたよ。それとは別に、パンクとレゲエの両方がライフスタイルとキャリアとして音楽に関わるためのインスピレーションをくれたね。」
――ブリストルも同じ状況でしたか?
「よその街も同じだったかは分らないけど、ブリストルでは、音楽に対して近い考えを持っている人たち同士で絆を築いていたと思うよ。クラブは、人が会ってアイデアを交換する場所になっていたんだ。別々の音楽的コミュニティがオーバーラップして、人々やバンドの間で考えやアイデアが膨らんでいった。僕は、所謂ブリストル・ミュージックのパイオニアたちの殆どが似たような経験をしていると思う。思い返せば、この頃のことがブリストルの音楽的発展の強い基盤を築いたんだと思う。」
――ロブもパンクやレゲエ・バンドをやってきて、そこから打ち込みのサウンドに興味が移っていきますが、そのきっかけは何でしょうか?
「レゲエ・バンドにいた頃には、スタジオの機材でレコーディングやミキシング、そしてダブに関わる機会もあったりしたんだけど、だんだんとバンドで演奏することよりもそっちに熱中していっちゃったんだ。自分の曲で多重録音とかも始めて、最終的にダブ・ミックスもできるようになった。友達のレコーディングを世話したときに、ローランドのドラム・マシーンをスタジオで見つけて、3~4時間ひたすらビートを作ってはソングをプログラムするやりかたを覚えていったよ。そんな経験は初めてだったんだ!」
――ヒップホップというのも影響は大きいでしょうか?
「うん。ブリストルではみんなに大きな影響を与えているよ。カーティス・ブロウがブリストルにプレイしに来たときのことをよく覚えてる。次の日にはみんなDJになりたがってたんだ! みんなスクラッチしようとして、ボール紙でスリプマットを作ったり、2つのレコード・プレイヤーを繋ぐ方法を工夫してた。」
――SMITH & MIGHTYは、レゲエ/ダブ、ソウル、ヒップホップやブレイクビーツ、ハウス・ミュージックをクロスオーヴァーしたサウンドを生み出してきたと思いますが、自身ではどんな風に思っていますか。
「ある意味、頑に、そしてレゲエを根っこにしつつ、他のスタイルをミックスしていこうとしているからだと思う。僕は全ての音楽に“ダブ”を見い出したいんだ。ハウスがちょっとステッパーズっぽく聴こえたら、僕らはハウス・ダブのようなものを作った。ブレイクビーツにレゲエ・ギターの音やエコー、ベース・ラインを乗せて、ヒップホップ・レゲエのようなものも作った。ラヴァーズ・ロックや60年代のソウルも好きだったから、女性ヴォーカルやストリングスも入れようとしたりね。
似たようなサウンドにトライしていた人たちもいたけど、僕らはサウンドに無意識ではあったけど完璧なヴィジョンを持っていた。それは僕らの歴史……レゲエ、サウンドシステム、それに子供の頃からの音楽や記憶、それらが混ぜ合わさった音楽。それが僕らのサウンドの個性になっていると思う。」
――SMITH & MIGHTYが15年以上も前に作った曲が、今のダブステップのプロデューサーたちから再評価され、再発までされたりする理由は何故だと思いますか?
「人生って不思議だよね。僕が『ブレイン・スキャン』(86年)を聴いたとき、自分ですらダブステップっぽいとビックリしたよ。多分、物事は円が回るように発展していくってことなんだろうね。」
――SMITH & MIGHTYをはじめ現在のソロRSDまで、色んな名義で音楽を作ってきましたが、その中に一貫した物があるとしたら何ですか?
「ダブかな。僕は音楽とプロダクションをダブとレゲエ・ミュージックから学んだし、いまだにはっきりしたアプローチでもある。色んな味を盛り込みたいけれど、その成り立ちいつでもダブスタイルなんだ。
僕は自分の音楽を、純粋なスタイルに閉じ込めたくないんだ。単なるレゲエ、とか。感じたりインスパイアされたものを反映した音楽にしたいんだ。」
――ずばり、ダブステップはレゲエの進化形だと思いますか?
「う~ん。実際にレゲエに影響されたダブステップというのも多いし、いくつかの曲は新しいレゲエ“的”なサウンドもあるよね。でも、ダブステップってジャンルはすごく幅広いし、まったくレゲエっっぽくない曲もある。プロダクションの面からいうと、ダブのアティチュードというのは確かにある。でもダブステップのルーツは直接的にレゲエから来ているものではないと思うよ。ジャングルがレゲエをルーツにしているかも、というのとは少なくとも違うよね。」
――現在のイギリスのレゲエ・シーンはどのような感じでしょうか? それぞれの街で特色のような物はあるのでしょうか? また、ピュアなレゲエのみを演奏するサウンドシステム/バンドと、そのほかのジャンルとの交流のような物はあるのでしょうか?
「今は良い状況だと思うよ。ダブステップ経由でそのサウンドを知った若いオーディエンスが新しく増えているしね。イギリスの多くの都市で、レゲエとダブステップを混ぜたイヴェントがあるんだ。リーズのアイレイション・ステッパズは、ダブ、レゲエとダブステップのレギュラー・イヴェントをやって、全部を同じへヴィなサウンドシステムで鳴らすんだよ。」
――ロブは世界各地でDJをし、色んなレゲエのシーンを見てきたと思います。共通点も含め、何か面白い例などがあれば教えてください。
「世界中で、レゲエはいつでも人気があると思うよ。多くのレゲエ・フェスが毎年大盛況で開かれている。まるでインターナショナルなクラブのようだよね。それらのフェスは60年代のヒッピー・ムーヴメントに似ているような気がする。ピース、ラヴ、そして音楽がそのインスピレーションの中心なんだ。」
――どうしてレゲエという音楽がここまで世界各地で愛されていると思いますか?
「レゲエはシンプルで誠実な音楽だからだと思うよ。そのリズムは伝染し易い。その起源は普遍的な愛についてであって、ネガティヴなことを乗り越えていくことなんだ。これは決して間違えることがない公式なんだよ。」
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