BRISTOL - MUSIC & CULTURE

 
 

CLIVE SMITH biography

CLIVE SMITH w/ KOBRA

Filmmaker and winner of two Royal Television Awards, Clive was the youngest Black boy to play football for Bristol Rovers youth team, a World Disco dancing finalist, music director of Arts Opportunity Theatre, a member of dance group Mahogany and band Kobra, a founder of FTP (‘For the People’) radio station and later Black FM Radio. from A Guide to African-Caribbean Sources

CLIVE SMITH biographyより抜粋
1959年生まれのクライヴ・スミスは、1962年に家族とともにジャマイカからブリストルへ移住した。英国の黒人で学校に通う最初の世代のひとりである彼は、生徒も教師もカリビアンの人々や文化に対する意識が欠けていたことを覚えている。
幼い頃は両親が大きな影響源で、家庭ではジャマイカの文化が重要視されていた。商売気があり音楽的な家族で、8歳でキーボードの演奏を始めた。ブリストル・ローヴァーズのユース・チームでフットボールをする最年少のアフロ・カリビアンの少年でもあった。彼は黒人の少年たちにとってはアイドルのような存在となったが、白人の選手からは複雑な反応を受けたことを覚えている。彼らはクライヴのフットボールの技術はリスペクトしつつも、彼を差別的な名前で呼んでいた。

クライヴは才能あるダンサーになり、グループを組みサード・ワールドやライト・オブ・ザ・ワールドといった当時よく知られたグループとツアーをしていた。彼は2年間に亘ってTHE WORLD DISCO DANCING CHAMPIONSHIPS(→参考映像に南西部代表として出場した。

ZION BAND / FREEDOM CITY<クライヴはその後、ARTS OPPORTUNITY THEATRE(AOT)の音楽ディレクターとなった。AOTは1980年のセント・ポールズ暴動の後、職のない若者を援助するために設立された。クライヴは若者たち(スミス&マイティなど)を援助し、彼らの才能を引き出した。また彼は映画に“エキストラ”として出演する黒人たちのエージェンシーを共同で設立し、自身も病院をテーマにしたTVドラマ・シリーズ『Casualty』(→参考映像に初の黒人看護士役として出演した。

クライヴは父のビジネス精神を、弟のノエルZION BANDのシンガー)と共に受け継ぎ、音楽グループKOBRAを始めた。自分たちでレコーディング・スタジオを作り、BLACK FM(元はFTP)というラジオ曲を設立した。そして、音楽に付随する映像も作るようになる。
彼は、セント・ポールズで出会った人々の才能にやる気を与えられ、彼らの物語や歴史を、それが手遅れになる前にとらえておきたいと思っていた。『My Peeps』や『Street Leve』といったフィルムはTVでも放映され、王立テレビ協会でも2年連続で受賞、ヨーロッパでも最も独自性のあるドキュメンタリーとして受賞している。クライヴは現在、彼の息子LEONと自身のTV曲を持っている。

http://www.youtube.com/user/ASITISTV
http://www.youtube.com/user/ASITISTV2
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