BRISTOL - MUSIC & CULTURE

 
 

ブリストル再来:総論 (2008)

REMIX 204

E-JIMAが雑誌『remix』2008年6月号のブリストル特集用に書いた総論。
文:E-JIMA

 2000年代に入ってすぐくらいだったか、ロブ・スミス(スミス&マイティ)と街の音楽の今後について話したことがある。当時はブリストルでも、多くのキッズがインターネットやテレビ・ゲームに夢中になり、音楽から離れつつあった。音楽業界的にも“ブリストル”というキーワードが以前ほど魔力を持たなくなっていた時期だった。グローバリゼーションの侵略とインターネットの普及による価値観の均一化と、それと相反する多様性。そのバランスがどう影響するかについて。いま考えるとまったく大袈裟なのだが、当時は、その進む方向によってはブリストルで生まれる音楽の響きが大きく変質すると危惧していたものだ。

 ブリストルは、ロンドンから南西へ120マイル、急行で約1時間半ほど走ったところにある。かつては、アフリカの奴隷貿易の玄関口、またアメリカとの貿易窓口として、英国第2の都市にまで成長した港町。第2次世界大戦後には、ジャマイカをはじめ西インド諸島など旧植民地からの移民が押し寄せ、それらは現在もコミュニティとして存在し、機能している。まずは、この歴史に根ざした多人種/多宗教が育んだ豊かな文化が、ブリストルが独自のサウンドを生んだ大きな要因のひとつである。英国政府観光庁のウェブサイトでは「ブリストルは、新境地を開こうとするチャレンジャーの街である。はるか昔には探検家や商人が期待に胸をふくらませ、大海原に出帆する港町として栄えた。その勇敢な精神と創造力はいまや芸術や建築に反映されているといえるだろう。ブリストルはそれらを様々な文化事業を通し享受できる、ゆとりのある生活が送られる都市として発展を遂げていった」と記している。人口が50万ほどのこの街は、西のクリフトンと東のセント・ポールズ~イーストンに大きく分けることができる。前者は中産階級の、後者は移民や労働者階級のテリトリーで、これには街並を眺めるだけでも明らかな格差がある。緑や歴史的建造物も多く残る、見るからに品の良さそうな家並のクリフトンに対し、セント・ポールズには、80年に起こった大規模な暴動の爪痕が今でも残っている(場所によっては、僕ら日本人は決して歩かない方が良いと言われているところもある)。

 1970年代後半、当時16歳のマーク・スチュワートがポップ・グループを結成、そのサウンドは大きな衝撃となって世界に広がった。面白いのは、キャプテン・ビーフハート並みにアヴァンギャルドと評されていた彼らのサウンドについて、本人たちは「オハイオ・プレイヤーズやファンカデリックと同じくらいファンキーだと思って」いたというのだ。しかし、実はこの感覚が、ブリストルから生まれる音楽の独自性の源だと僕は考える。80年代前半のヒップホップ映画『ワイルド・スタイル』を英国で最も早い時期に観ることができたブリストルには、ダグ・アウトという人種の混ざりあった(先に述べたクリフトンとセント・ポールズのまさに中間にあった)クラブで活動するようになった、後にワイルド・バンチと呼ばれるキッズたちがいた。彼らの中には、ポップ・グループらに触発されてパンク・バンドを組んでいた者も多い。つまり、古くから存在していた多様な文化とポップ・グループ的な感覚が、ワイルド・バンチの登場で一気にスパークしたのが、現在のいわゆる“ブリストル・サウンド”の原点なのだと思う。

 文化面だけでなく、イギリスの首都ロンドンからの微妙な距離と街の狭さという地理的要因も大きな影響となっている。限られた人だけが得た情報は伝言ゲーム化し、多くの誤解も孕みながら成長したことだろう。スミス&マイティのレイ・マイティは、ことあるごとに「アンチ・ロンドン」を口にしていた。人種や年齢に関わらず行く場所は同じという制限は、逆にフレッシュな発展を促進したはずだ。例えば、大メジャーになったマッシヴ・アタックのメンバーが古びたパブにいたり、ポーティスヘッドのジェフ・バーロウがレコード屋の査定に口を挟んでいる光景なんてものは、現在でもありふれた日常だ。トラベラー・バンドとして知られるムーンフラワーズのドラマー、トビー・パスコーは、ロニ・サイズ&ダイのブレイクビート・エラに起用され、バンクシーとはフラット・メイトだった(彼の葬儀ではバンクシーが弔辞を読んだ)。数少ない“リアル”レコード屋ルーテッドには、ダブステップの若きクリエイター/DJからルーツ・レゲエやダブのベテランまでが顔を出し、居合わせた連中で情報交換をする。そんな風にして、先に述べたものとは違う“新しい形のコミュニティ”が生まれてきた。さらに、インターネット上にも、ハイジャックというブリストルのミュージシャンたちの交流の場がある。古くからブリストルのミュージシャンと交流のあったネナ・チェリーは「わたしがブリストルから得たものをお返しするために」マッシヴ・アタックやポーティスヘッドをデビュー前から私財を投じてサポートしていたし、スミス&マイティのレーベル、スリー・ストライプの活動を見れば、それがいかに機能していたかがわかるだろう。

 僕がブリストルからの音楽に興味を持ったのは1990年前後。それまで色々なスタイルの音楽を手探りで聴いてきた自分にジャスト・フィットした3つのグループ、ムーンフラワーズ、スミス&マイティ、マッシヴ・アタックが全て同じ街=ブリストルの出身だと知ったときからだった。パンクやガレージ・ロック、サイケとダブ、そしてファンクと民俗音楽が混在したムーンフラワーズ。ダブとパンクをメランコリックなソウル・ポップスとミックスさせたスミス&マイティ。ソウルとファンクを、ヒップホップとダブで70年代のそれのように再生したマッシヴ・アタック。それまでに聴いたことがなかった3つのオリジナルなサウンドが同じ街から生まれているという事実は、それだけで充分僕の興味を惹き付けた。

 そう、もっとも重要なのが“オリジナルであること”へのこだわり。あながち余談でもないのだが、以前、リプラゼントのメンバーとして来日したサヴと買い物に行き、彼は「誰とも違う物がイイ」とデジタル・カメラを物色していた。僕は、誰かが愛用している物の方が安心して使えると思っていただけに、この出来事はいまでも強く印象に残っている。オリジナルであること、たとえそれが他の誰もやっていなくても恐れないこと――先述の引用通り、これがブリストル気質のようなものなのかもしれない。

 ヒップホップ~レイヴ~ドラムンベース~ガラージュ~グライム~ダブステップ……など、イギリスのクラブ・ミュージックの変化と発展には、ブリストルからの音楽が常に大きな貢献を果たしてきた。日本の音楽雑誌でも“ブリストル”というキーワードは重宝される。先に挙げたグループ以外にも、トリッキーやポーティスヘッド、ロニ・サイズ/リプラゼントなど、90年代の終わりまで、“ブリストル”というキーワードが毎月のように音楽雑誌に印刷されていた。そして現在、ピンチを中心とするダブステップの波がブリストルでも起こり、街の音楽シーンは何度目かの活況を呈している。マーク・スチュワートやポーティスヘッドが待望の新作を発表し、トリッキーのレーベル、ブラウンパンクも活動が本格化している。マッシヴ・アタックの新作も今年中には出るだろう。レイ・マイティがマッシュアップもので復帰し、ロブ・スミスも相変わらずで、ベテラン勢も活発になっている。クラブ・ミュージックだけでなく、オルタナティヴなロックやフォークも含めた音楽シーンの盛り上りを知るに、冒頭で述べた危惧はもう必要ないだろう。なにより、その頃のキッズたちが現在のシーンを牽引しているのだから。

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