BREAKBEATS & BLUES

このテキストは、おそらく1995年頃、MORE ROCKERSの1st『DUB PLATE SELECTION VOLUME 1』リリース時に書かれたもの翻訳です。一部におかしな表現もありますが、ほぼそのまま掲載します。90年代初頭のレイヴ・シーンとの関わりも記されていて興味深い内容です。
BREAKBEATS & BLUES
ブリストル……MORE ROCKERS、RONI SIZE & DJ DIE、KRUST、FLYNN & FLORA……全く別種のジャングルがそこにある。
ここ5年というもの、ブリストルの音楽シーンにはヒップホップと憂愁の二字しかなかった。イギリス中で、人々がより速いサイケなビートを求めてウェアハウス・パーティを開いている間、ブリストルでは、MASSIVE ATTACKとPORTISHEADがブルーな線画を描き出していた。しかし、もう一つ忘れてはならないグループは、たった1年のうちにドラム&ブルースの伝説を作り上げた、あのSMITH & MIGHTYである。
1989年、ROB SMITHとRAY MIGHTYのふたりは、2曲のトップ10ヒットを生み出した。ROSE ROYCEの名曲、「WISHING ON A STAR」のFRESH 4ヴァージョンと、BACHARACH & DAVIDによる「WALK ON BY」のヘヴィなベース・ヴァージョンだ(実際にチャート・インしたのは、SYBILによるもっと軽いダンス・ヴァージョンだった)。
たった一夜にして、内省的なスロウ・ダブの達人としての地位を得た彼等は、高額な前払い金でLONDON RECORDSと契約したが、1992年まで待たされた挙句、ようやく出したEPの『STEPPER'S DELIGHT』は、残念ながらトップ40にさえ届かなかった。
生々しいブレイクビーツ、サブ・ベース、エコー、そしてスピード感に溢れるこのEPは、MASSIVE ATTACKの『BLUE LINES』のような売れ線とは全く異なり、むしろ、LFO、MEAT BEAT MANIFESTO、SHUT UP AND DANCE、ニューヨークのNERVOUS RECORDSなどの、アンダーグラウンドなサウンドにより近いものだった。
SMITH & MIGHTYは、1994年の半ばまでにデビューLP『BASS IS MATERNAL』と、ニュー・シングル「REMEMBER ME」を作ったが、DJのプロモーション不足の為、結局両方ともリリースされる事がなかった。つまりそれは、メジャー・レーベルの契約書にサインしたものの、何も出さないまま曖昧にされ、ただ契約だけが更新されていくという、多くのロック・バンドが陥る悲劇のひとつに終わったのだ。
しかし、常にダンス・ミュージックを作ってきたふたりは、レイヴからポスト・レイヴ時代のDJ、クラブ、インディペンデント経営のレーベル、配給ルート、それにインディ・レコード・ショップなどとの強力なネットワークを持っていた為、独力で生き残る事ができた。そして今は、RONI SIZE、PETER D.、DJ DIE、FLYNN & FLORA、そしてDJ KRUSTといった、ブリストルの才能溢れるアンダーグラウンド・ダンス・ミュージシャン達と共にニュー・レーベルを発展させて、この街のミュージック・シーンの中心的存在となったのである。
こうして彼らは、ヒップ・ホップと憂愁の街ブリストルから、新たにジャングルと喜悦、ブレイクビーツと幸福、サブベースとエクスタシー、ジャズとSFチックとを作り出したのだった。
またもうひとつ有名なのが、“THE AULLET”や“THE RAVEMOBILE(レイヴ・カー”などと呼ばれ、多くのブリストル仲間達に愛用されたROB SMITHの大きなブルーのシトロエンである。DJ KRUSTによると、彼ら一行はこの車で南西部のSUNRISE、BACK TO THE FUTURE、THE SPIRAL TRIBE、CIRCUS WARP、それにCASTLEMORTONなどヘも遠征したという。DJ KRUSTはこう語る。「言い古された事だけど、同じひとつのものを目指して、いろいろな所から様々な人々が集まってくるのって素晴しいね。ドラッグのあるなしにかかわらず、あんな風に全ての人が一堂に会してノリノリで楽しむ事ができるなんて。そんな光景を見る事ができたのは、最高に素晴しい経験だったと思う。それに、音楽そのものももちろん最高だったしね」。
レイヴに通い続ける楽しみのひとつは、踊ったり友達を作ったりする以外にも、常にトレンドの音楽に耳を傾けながら、それがどう移ろっていくかを見届ける事にある。「レイヴというレイヴに通っていた僕達は、ブレイクビーツがハウスの中へ徐々に入り始めた頃から、4/4ベース・ドラムが減ってブレイクが多用されるようになり、そこからジャングルへと進化していくまで、全ての過程をずっと見てきたんだ」とROBは説明してくれた。

初期のダブ作品から、サブ・ベースとブレイクビーツを強く意識していたSMITH & MIGHTYは、同時にレイヴ・ミュージックの伝染的な性質をよく理解していた。名もないレーベルから飛び出したサウンドが、レイヴ・パーティへと広がり、アンダーグラウンドなスタジオから、遂にはメジャー・プロデューサーへの元へと辿り着く。そして彼らの『STEPPER'S DELIGHT』も、CASTLEMORTONで45プラス8回転でプレイされてから、たちまち伝染病のように各地へ広がって行ったのだった。

この曲がきっかけとなって、89年から93年はふたりにとって最も多忙な時期となった。ロンドンのペチコート・レイン・マーケットにあるANDROMEDAなどのレイヴでは、FRESH 4の囁くようなヴォーカルと、歪曲したブレイクが入ってスローになった「WISHING ON A STAR」が、しきりにプレイされていた。PETER D によると、そのレコードはレイヴの最高潮になると決まってかかる、断然ヘヴィなサウンドだったそうだ。FRESH 4のメンバーであるDJ KRUSTとFLYNNの兄弟は、SMITH & MIGHTYと同じレイヴ・パーティに通い、同じ音を聴いて同じ結論に達した仲間で、やはりメジャーのVIRGINと契約しながら、1曲もヒットを出せなかったという経験を持っていた。

FLYNNは、今の状況をこんな風に語ってくれた。「今僕達は、歴史の中の2度とないような過渡期にいる。デザイナーズ・ブランドのドラッグから、それこそデザイナーズ・ブランドの殺し屋まで、全てのものがすごいスピードで現われては消えていく。レイヴは、そんなハイテク・ライフそのものであり、混沌の中で当惑しきった世代の姿を映し出した。そして今、それらが同時にジャングルとなった。それは、誰かの歴史の1ページであり、未来の一片であり、現在の一片でもある。僕から見ると、ジャングルはビデオ・ゲームや携帯電話や160BPMのスピードのレコードと同じで、超高速で進んでいくハイテクの旅だね」。

こうして、CASTLEMORTONやANDROMEDAに通ったブリストル・サウンドの支持者達は、ジャングルの出現以前にそうしたレイヴで聴いた、自分達のレコードのベース&ブレイクビーツ・ヴァージョンが忘れられなくて、ジャングルを作るようになったのだった。







1994年、KRUSTはRONI SIZEとTHE FULL CYCLEを結成し、V RECORDSから厳格で男性的なジャングル、「BURNING」と「JAZZ NOTE」をリリースした。またFLYNN & FLORA は、ドラム&ベースに官能的で詩的な魔力を吹き込んだ「JUNGLE LOVE」と「FLOWERS」を作り出し、一方、RONI SIZEの「IT'S A JAZZ THING」は、その年のベスト・レコードのひとつに挙げられた。
SMITH は、どうして自分がジャングルを始めたかという事から、ハーフステップのベースと激しいブレイクビーツの関係について話題を移していく。「このふたつのテンポが寛容に調和する様は、たぶん全ての人々が心の底で望んでいる、理想の世界の姿を反映しているんだと思う」。
しかし、SMITHのジャングルは、単に遅いベースと速いスネアを結び付けた以上のものだ。彼は、PETER Dと共にMORE ROCKERSとしてレコーディングをこなし、同名のレーベルの経営も行なっている。ビートのマスターであり、プロデューサーであり、時にはパーティの主催者でもあるPETER Dは、SMITH & MIGHTYの古い仲間で、彼らとは昔から活動を共にしていた。また彼は他にも、MASSIVE ATTACKのMUSHROOMと一緒にビートをミックスしたり、FREDA PAYNEの「BAND OF GOLD」の見事なホワイト・レーベル・ヴァージョンを作ったりしていたが、結局それらよりやや劣るヴァージョンしかリリースできなかった。

MORE ROCKERSのデビューLP『DUB PLATE SELECTION VOLUME 1』には、DJスタイルにミックスされた18曲が入っており、そのリズムは、ダブからの影響が強い未来派のジャングルからデジタルなルーツを持つスロウなものまで、あるいは、ピュアなアシッドのBライン・スウィングからハード・テクノや90年代のジャングリズムにまで、かなりヴァラエティに富んだものになっている。
このLPの中でも、実際に我々の頭と皮膚の中へと染み込むナンバーは、スピリチャルなルーツとラヴァーズ・レゲエをジャングルに取り入れた「AFTER X (HOW CAN A MAN)」と、「YOUR GONNA (MAKE ME)」だろう。純粋な幸福に満ちたメロディー、リフ、ヴォーカル……これらをリズムが引き裂き、その後に今度は優しく愛撫すると、そこに光輝くエクスタシーが生まれる。
そして、このアルバム全体を貫いているのは、ROB SMITHが得意とする、空間と基調における重々しいリズム・シフトとダブ感覚だ。彼によると、自分が最初に音楽の虜になったのは、そうした長いエコーを引くギター・サウンドを聴いた時だという事だ。

だからこそ、ROBは最初にギターとエコー・ペダルを買い、RESTRICTIONというルーツ・バンドで、まず4年間活動した。彼の空間とダブ操作に対する洗練された第六感は、この頃の経験から培われたものかもしれない。
94年は、SMITH & MIGHTYのリミックスだけでなく、SIZE、DIE、KRUST、SMITH、FLYNN & FLORAの全員が参加したコラボレーションLPが、MORE ROCKERSから出る予定だ。また他の様々なレーベルからも、FLYNN & FLORAのスペース叙情詩や、KRUSTのSFジャズ、それにMORE ROCKERSのジャングリスト・ルーツなど、多数が目白押しでリリース予定である。今や、ブリストルのメランコリー・ヒップ・ホップなどは、遠い空の彼方へ飛び去ってしまったかのようだ。
「これこそ未来の音だ。何を聴いても驚いちゃいけない。君もそのうち慣れるさ!」こう言って、KRUSTはにやりと笑った。
ブリストル……MORE ROCKERS、RONI SIZE & DJ DIE、KRUST、FLYNN & FLORA……全く別種のジャングルがそこにある。
ここ5年というもの、ブリストルの音楽シーンにはヒップホップと憂愁の二字しかなかった。イギリス中で、人々がより速いサイケなビートを求めてウェアハウス・パーティを開いている間、ブリストルでは、MASSIVE ATTACKとPORTISHEADがブルーな線画を描き出していた。しかし、もう一つ忘れてはならないグループは、たった1年のうちにドラム&ブルースの伝説を作り上げた、あのSMITH & MIGHTYである。
1989年、ROB SMITHとRAY MIGHTYのふたりは、2曲のトップ10ヒットを生み出した。ROSE ROYCEの名曲、「WISHING ON A STAR」のFRESH 4ヴァージョンと、BACHARACH & DAVIDによる「WALK ON BY」のヘヴィなベース・ヴァージョンだ(実際にチャート・インしたのは、SYBILによるもっと軽いダンス・ヴァージョンだった)。
たった一夜にして、内省的なスロウ・ダブの達人としての地位を得た彼等は、高額な前払い金でLONDON RECORDSと契約したが、1992年まで待たされた挙句、ようやく出したEPの『STEPPER'S DELIGHT』は、残念ながらトップ40にさえ届かなかった。
生々しいブレイクビーツ、サブ・ベース、エコー、そしてスピード感に溢れるこのEPは、MASSIVE ATTACKの『BLUE LINES』のような売れ線とは全く異なり、むしろ、LFO、MEAT BEAT MANIFESTO、SHUT UP AND DANCE、ニューヨークのNERVOUS RECORDSなどの、アンダーグラウンドなサウンドにより近いものだった。
SMITH & MIGHTYは、1994年の半ばまでにデビューLP『BASS IS MATERNAL』と、ニュー・シングル「REMEMBER ME」を作ったが、DJのプロモーション不足の為、結局両方ともリリースされる事がなかった。つまりそれは、メジャー・レーベルの契約書にサインしたものの、何も出さないまま曖昧にされ、ただ契約だけが更新されていくという、多くのロック・バンドが陥る悲劇のひとつに終わったのだ。
しかし、常にダンス・ミュージックを作ってきたふたりは、レイヴからポスト・レイヴ時代のDJ、クラブ、インディペンデント経営のレーベル、配給ルート、それにインディ・レコード・ショップなどとの強力なネットワークを持っていた為、独力で生き残る事ができた。そして今は、RONI SIZE、PETER D.、DJ DIE、FLYNN & FLORA、そしてDJ KRUSTといった、ブリストルの才能溢れるアンダーグラウンド・ダンス・ミュージシャン達と共にニュー・レーベルを発展させて、この街のミュージック・シーンの中心的存在となったのである。
こうして彼らは、ヒップ・ホップと憂愁の街ブリストルから、新たにジャングルと喜悦、ブレイクビーツと幸福、サブベースとエクスタシー、ジャズとSFチックとを作り出したのだった。
またもうひとつ有名なのが、“THE AULLET”や“THE RAVEMOBILE(レイヴ・カー”などと呼ばれ、多くのブリストル仲間達に愛用されたROB SMITHの大きなブルーのシトロエンである。DJ KRUSTによると、彼ら一行はこの車で南西部のSUNRISE、BACK TO THE FUTURE、THE SPIRAL TRIBE、CIRCUS WARP、それにCASTLEMORTONなどヘも遠征したという。DJ KRUSTはこう語る。「言い古された事だけど、同じひとつのものを目指して、いろいろな所から様々な人々が集まってくるのって素晴しいね。ドラッグのあるなしにかかわらず、あんな風に全ての人が一堂に会してノリノリで楽しむ事ができるなんて。そんな光景を見る事ができたのは、最高に素晴しい経験だったと思う。それに、音楽そのものももちろん最高だったしね」。
レイヴに通い続ける楽しみのひとつは、踊ったり友達を作ったりする以外にも、常にトレンドの音楽に耳を傾けながら、それがどう移ろっていくかを見届ける事にある。「レイヴというレイヴに通っていた僕達は、ブレイクビーツがハウスの中へ徐々に入り始めた頃から、4/4ベース・ドラムが減ってブレイクが多用されるようになり、そこからジャングルへと進化していくまで、全ての過程をずっと見てきたんだ」とROBは説明してくれた。

初期のダブ作品から、サブ・ベースとブレイクビーツを強く意識していたSMITH & MIGHTYは、同時にレイヴ・ミュージックの伝染的な性質をよく理解していた。名もないレーベルから飛び出したサウンドが、レイヴ・パーティへと広がり、アンダーグラウンドなスタジオから、遂にはメジャー・プロデューサーへの元へと辿り着く。そして彼らの『STEPPER'S DELIGHT』も、CASTLEMORTONで45プラス8回転でプレイされてから、たちまち伝染病のように各地へ広がって行ったのだった。

この曲がきっかけとなって、89年から93年はふたりにとって最も多忙な時期となった。ロンドンのペチコート・レイン・マーケットにあるANDROMEDAなどのレイヴでは、FRESH 4の囁くようなヴォーカルと、歪曲したブレイクが入ってスローになった「WISHING ON A STAR」が、しきりにプレイされていた。PETER D によると、そのレコードはレイヴの最高潮になると決まってかかる、断然ヘヴィなサウンドだったそうだ。FRESH 4のメンバーであるDJ KRUSTとFLYNNの兄弟は、SMITH & MIGHTYと同じレイヴ・パーティに通い、同じ音を聴いて同じ結論に達した仲間で、やはりメジャーのVIRGINと契約しながら、1曲もヒットを出せなかったという経験を持っていた。

FLYNNは、今の状況をこんな風に語ってくれた。「今僕達は、歴史の中の2度とないような過渡期にいる。デザイナーズ・ブランドのドラッグから、それこそデザイナーズ・ブランドの殺し屋まで、全てのものがすごいスピードで現われては消えていく。レイヴは、そんなハイテク・ライフそのものであり、混沌の中で当惑しきった世代の姿を映し出した。そして今、それらが同時にジャングルとなった。それは、誰かの歴史の1ページであり、未来の一片であり、現在の一片でもある。僕から見ると、ジャングルはビデオ・ゲームや携帯電話や160BPMのスピードのレコードと同じで、超高速で進んでいくハイテクの旅だね」。

こうして、CASTLEMORTONやANDROMEDAに通ったブリストル・サウンドの支持者達は、ジャングルの出現以前にそうしたレイヴで聴いた、自分達のレコードのベース&ブレイクビーツ・ヴァージョンが忘れられなくて、ジャングルを作るようになったのだった。







1994年、KRUSTはRONI SIZEとTHE FULL CYCLEを結成し、V RECORDSから厳格で男性的なジャングル、「BURNING」と「JAZZ NOTE」をリリースした。またFLYNN & FLORA は、ドラム&ベースに官能的で詩的な魔力を吹き込んだ「JUNGLE LOVE」と「FLOWERS」を作り出し、一方、RONI SIZEの「IT'S A JAZZ THING」は、その年のベスト・レコードのひとつに挙げられた。
SMITH は、どうして自分がジャングルを始めたかという事から、ハーフステップのベースと激しいブレイクビーツの関係について話題を移していく。「このふたつのテンポが寛容に調和する様は、たぶん全ての人々が心の底で望んでいる、理想の世界の姿を反映しているんだと思う」。
しかし、SMITHのジャングルは、単に遅いベースと速いスネアを結び付けた以上のものだ。彼は、PETER Dと共にMORE ROCKERSとしてレコーディングをこなし、同名のレーベルの経営も行なっている。ビートのマスターであり、プロデューサーであり、時にはパーティの主催者でもあるPETER Dは、SMITH & MIGHTYの古い仲間で、彼らとは昔から活動を共にしていた。また彼は他にも、MASSIVE ATTACKのMUSHROOMと一緒にビートをミックスしたり、FREDA PAYNEの「BAND OF GOLD」の見事なホワイト・レーベル・ヴァージョンを作ったりしていたが、結局それらよりやや劣るヴァージョンしかリリースできなかった。

MORE ROCKERSのデビューLP『DUB PLATE SELECTION VOLUME 1』には、DJスタイルにミックスされた18曲が入っており、そのリズムは、ダブからの影響が強い未来派のジャングルからデジタルなルーツを持つスロウなものまで、あるいは、ピュアなアシッドのBライン・スウィングからハード・テクノや90年代のジャングリズムにまで、かなりヴァラエティに富んだものになっている。
このLPの中でも、実際に我々の頭と皮膚の中へと染み込むナンバーは、スピリチャルなルーツとラヴァーズ・レゲエをジャングルに取り入れた「AFTER X (HOW CAN A MAN)」と、「YOUR GONNA (MAKE ME)」だろう。純粋な幸福に満ちたメロディー、リフ、ヴォーカル……これらをリズムが引き裂き、その後に今度は優しく愛撫すると、そこに光輝くエクスタシーが生まれる。
そして、このアルバム全体を貫いているのは、ROB SMITHが得意とする、空間と基調における重々しいリズム・シフトとダブ感覚だ。彼によると、自分が最初に音楽の虜になったのは、そうした長いエコーを引くギター・サウンドを聴いた時だという事だ。

だからこそ、ROBは最初にギターとエコー・ペダルを買い、RESTRICTIONというルーツ・バンドで、まず4年間活動した。彼の空間とダブ操作に対する洗練された第六感は、この頃の経験から培われたものかもしれない。
94年は、SMITH & MIGHTYのリミックスだけでなく、SIZE、DIE、KRUST、SMITH、FLYNN & FLORAの全員が参加したコラボレーションLPが、MORE ROCKERSから出る予定だ。また他の様々なレーベルからも、FLYNN & FLORAのスペース叙情詩や、KRUSTのSFジャズ、それにMORE ROCKERSのジャングリスト・ルーツなど、多数が目白押しでリリース予定である。今や、ブリストルのメランコリー・ヒップ・ホップなどは、遠い空の彼方へ飛び去ってしまったかのようだ。
「これこそ未来の音だ。何を聴いても驚いちゃいけない。君もそのうち慣れるさ!」こう言って、KRUSTはにやりと笑った。
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SMITH AND MIGHTY
STEPPERS DELIGHT E.P.
1992 / CDEP/12" / THREE STRIPE/FFrr
1. Too Late
2. Rub (featuring The General)
3. Give Me Your Love
4. Killa
ブレイクビーツの高速化とレゲエ...
2011.01.07 15:49
昨日のロブとの呑みでも話題に上げたSmith & Mighty「Killa」の45回転でのプレイの実践。多分この日ではないけれど、実際に行っていたレイヴでKrustがコレの展開に気がついて「やばいよやばいよ」と呼びに来たらしい。...アクシデントが革命を生む……という記事を数年前に書いて、その続き。上に貼ったのはBryan Geeの92年2月終わりのプレイから。ここでは33回転のままピッチを...
2019.06.16 00:17
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