ROB SMITH Interview (2007)


発売中の雑誌『Rove』Vol. 15の特集“WORLD REGGAE ISSUE:JAPAN, JAMAICA, UK, US…etc 異なる世界のレゲエ事情”にROB SMITHのインタヴューが掲載されています。本文中で触れている、ROBが80年代末にフランスで暮らしていた時に手掛けた2枚のアルバムは下記で紹介しています。
※以下は、誌面ではスペースの都合でカットしたインタヴューの完全版です。
――ROBはいつからレゲエにはまったの?それまではどんな音楽を聴いていて、レゲエにはまったその魅力って何だった?
レゲエが好きになったのは1972年頃だね。それまでは、ほとんどポップ・ミュージックを聴いてた。DAVID BOWIEとかROXY MUSIC、T-REXとかね。あとはJIMI HENDRIX、JAMES BROWN、それにMOTOWNとか。僕はレゲエの7インチが好きだったんだ。片面が歌、もう片面がダブ・ヴァージョンていうね。
――レゲエのサウンドシステムはいつくらいからあった?ROBが初めて経験したのは誰のシステム?
ブリストルでは70年代~80年代に多くのシステムがあったんだ。どれが最初かは正確には覚えてないけど、多分“LOKKO”か“SIR HI TONE”だったと思う。
――そこではレゲエしかかっていなかった?それとも既にいろいろかかっていたの?
最初は、システムではレゲエだけがかかっていたね。後になってから、ファンクやソウル、それからヒップホップもかかるようになったんだ。
――最初に違うのもかけるようになったのは誰?
ブリストルでは80年代、“CITY ROCKERS”や“THE WILD BUNCH”、“THREE STRIPE”だね。
――そういう「レゲエ以外のものがかかる」のは、みんな最初から抵抗はなかった?
はじめ、システムでレゲエ以外の音楽が流れるのはちょっと奇妙だったね。でも、それがみんなにとって、そして大きなイベントにとって完璧だったんだ。でも、本当のルーツ・サウンドシステムはレゲエだけしかかけないけど。
――THREE STRIPEのサウンドシステムはどんな感じだったの? どういうのを掛けていたの?
THREE STRIPEのサウンドシステムは、セント・ポールズっていうブリストルの一区画を拠点にして、セント・ポールズ・カーニヴァルやパーティでプレイしていた。それから、他のシステムとは違って、グラストンベリーや(コーンウォールの)エレファント・フェアにも出ていったんだ。基本はレゲエで、ファンクやエレクトロ、初期のヒップホップもプレイしていたよ。
――ROBはピュアなルーツ・レゲエを作ろうと思いますか?
ピュアなルーツ・ミュージックをプロデュースしたことはあるよ。パリにしばらく住んでいた頃に、ドミニカのルーツ・レゲエ・バンドのルーツ・アルバムを2枚手掛けたんだ。
――ブリストルのレゲエ・シーンについて、ROBの視点でその現在までを教えてください。
僕が思うに、ブリストルのレゲエ・シーンは70年代末から一貫していると思う。その頃にはTALISMAN、BLACK ROOTS、SAFIE、それからRESTRICTIONといったライヴ・バンドがいたんだ。いまはレゲエだけをプレイするっていうライヴ・バンドはそんなに多くはないけれど、サウンドシステムもあるし、シンガーやDJも沢山いるしね。
僕に関していうと、70年代、学生時代にレゲエに魅了されてレコードを集め始めたんだ。BIG YOUTHやU ROY、それから後になってSCIENTISTを聴いてレゲエとダブのプロダクションを学んだんだ。そのころは主にセント・ポールズにサウンドシステムや“ブルーズ”クラブが沢山あってね。“ブルーズ”っていうのは、非合法な深夜の飲み屋/クラブみたいなもので、たいていは誰かの家の地下で開かれてたんだ。いつもレゲエDJがいて、大きなスピーカーがあって、みんな早朝まで踊ってた。他にレゲエ、そしてパンクもかけていたクラブはBAMBOOやDUG OUTがあったね。いくつかは、レゲエとパンクのバンドが、パンクスとラスタが入り交じったオーディエンスとイヴェントをやっていたんだ。
80年代のあるとき、僕はエコー・ユニットと中古のミキシング・デスクを買って、ダブ・サウンドを作ろうとしたんだ。僕はギターも始めて、レゲエ・ミュージカルの演劇集団に入って、イギリスとドイツをツアーした。それからRESTRICTIONに入って、ARIWAスタジオでMAD PROFESSORと12インチを録音したんだ。その頃、ブリストルのレゲエ・シーンは凄く大きくなっていて、定期的なサウンドシステムや、多くの人がレゲエ・バンドを組んでいたんだ。ジャマイカからの輸入のプレ・リリースのレコードを手に入れる場所もあったし、そんな新鮮なジャマイカンのレゲエとイギリス産のレゲエを同じくらい愛してたよ。
80年代の中頃、RAY MIGHTY、そしてTHREE STRIPE SOUND SYSTEMと活動を始めたんだ。この頃から、いくつかのシステムがレゲエと同じくらい他のスタイルの音楽もかけるようになったんだよね。それから僕はずっと、レゲエの影響とダブ処理を施した音楽を作り、ミックスし続けているという感じ。今でも、古いのも新しいのもレゲエが好きだし、DUB FROM ATLANTISのバンドでまたギターも弾くようになったんだ。
――ブリストルでレゲエやダブが根付いている理由をロブはどう考える?
ブリストルにはすごく大きなカリビアンのコミュニティと文化のミックスがあるからね。それに、ブリストルは港町だから他の都市よりも先にジャマイカからのプレ・リリースが入って来るからね。DUG OUTみたいなクラブではレゲエDJをフィーチャーしていたし、ブリストルの人々にとってレゲエは昔からポピュラーだったんだ。
――イギリスは特に、ピュアなルーツを継承する人とは別に、レゲエをベースに色んなスタイルで個性的な音楽を生み出している人たちが多くいると思うけれど、君たちも含め、それはどうしてだと思う?
レゲエには“ヴァージョン”て概念があって、ヒップホップには“ミキシング”って概念があるよね。僕が思うに、イギリスではその2つの概念をミックスさせて新しいスタイルを生み出そうとしていた人が多かったってことなんだと思う。僕はどんな音楽でも好きだし、色んな要素から影響を受けていると思う。ダブとレゲエは僕が音楽を作る大きなモチベーションだけど、僕は違う要素も含ませたいといつも思っているよ。
――ジャングル/ドラムンベースについて、ROBはレゲエのひとつのスタイルだと思う? それとも新しい音楽スタイルだと思う?
僕はいつでもジャングル/ドラムンベースはレゲエの親戚だと思ってるよ。というか、いろんなスタイルの音楽にレゲエ・ミュージックの影響を聴くことが出来るよね。
――それがジャマイカンたちだけでなく、白人の若い子たちにも浸透しているのはどういう理由だと思う?
現在のイギリスの若者文化っていうのは、ずっとあったイギリス人、アジア人、ジャマイカ人なんかのコミュニティから交ざりあった影響下にあると思う。違ったバックグラウンドのアーティストやプロデューサーがしばしば一緒に仕事をするから、若い世代からドラムンベースやダブステップというハイブリッドなサウンドが生まれて浸透してるんだと思うよ。
――ダブステップについて、ドラムンベースやジャングル、ガラージの影響があると思うけど、そういう新しくカテゴライズされるスタイルができるのを実感/意識(コレは新しい!とか)している?それとも、この流れはごく自然なものだった?
ダブステップはフレッシュな新しいイギリスのサウンドだよね。UKガラージュ、2ステップ、ジャングル、レゲエ、そしてテクノの発展型というのはその曲ごとにあるけど、その姿勢こそがオリジナルなんだと思う。曲ができる過程や、お客さんの反応もルーツ・レゲエやドラムンベースとは違うけど、それらのシーンから派生したものだよね。
――ダブステップにはルーツ・レゲエが好きなジャマイカンたちの反応はどう? 抵抗はないみたい? またそれをどう思う?
RUSKOの「JAH LOVE」のように、ほんとにルーツ・レゲエのようなダブステップもあるくらいだから。ブリストルでは、最近ルーツ・レゲエのサウンドシステムをフィーチャーして、隣の部屋はダブステップっていうイヴェント(註:DUBKASMのTEACHINGS IN DUBとPINCHのSUBLOADED→参照)があったんだけど、大成功だったよ。個人的には、色んな人たちを一緒にしてしまうものが好きなんだ。
――PINCHなど、若い世代とはどうやって知り合って、どんな交流があるの?
PINCHはブリストルで最も活動的なダブステップのプロデューサーだね。彼はふたつのレーベルを成功させているし、ダブステップのムーヴメントにもすごく貢献してる。彼は新しい音楽をプロモートしサポートするだけじゃなく、彼よりも先輩にあたるプロデューサーたちにも大きな敬意を払っているんだ。彼はベースに対する熱意があって、それが僕らが友達になった理由なんだ! 彼は僕のトラックを2曲、彼のEARWAXからリリースしたんだ。若い世代が僕の曲をチェックしてくれているのが嬉しいし、ありがたいと思ってる。
――現在のレゲエ/ダブのシーン、ドラムンベースやダブステップとその未来はどんな風になると思う? ROB自身についても教えてください。
レゲエはよりタイムレスな方法で前進し、発展し続ける力を持っていると思う。古いレゲエの曲は今でもフレッシュでエキサインティングだよね。レゲエは死なない!
――ROBがソロの名義を使い分けているのはどういう狙い?
RSDっていうのは、単にROB SMITH DUBの頭文字だよ(笑)。FLYNNが名付けたんだ。
――最近のお気に入りを教えて。
今はMALA(DIGITAL MYSTIKZ)の「LEARN FORWARD」だね。
――今後の活動をリリース予定は?
DUB FROM ATLANTISでギターを弾き続けたいし、この夏にはいくつかのショウがある。RSD名義でのリリース予定もある。
それから、TAYOとコラボレーションをしようという話しもしている。それから、カナダへ行ってRESINATORSというバンドのプロデュースする計画もあるんだ。

左:ANTHONY GUSSIE AND THE NEW EXAMPLES - Ras Dubba
右:LEE JOHN SMITH - Leaders Of The World
■Rove オフィシャル・サイト
――ROBはいつからレゲエにはまったの?それまではどんな音楽を聴いていて、レゲエにはまったその魅力って何だった?
レゲエが好きになったのは1972年頃だね。それまでは、ほとんどポップ・ミュージックを聴いてた。DAVID BOWIEとかROXY MUSIC、T-REXとかね。あとはJIMI HENDRIX、JAMES BROWN、それにMOTOWNとか。僕はレゲエの7インチが好きだったんだ。片面が歌、もう片面がダブ・ヴァージョンていうね。
――レゲエのサウンドシステムはいつくらいからあった?ROBが初めて経験したのは誰のシステム?
ブリストルでは70年代~80年代に多くのシステムがあったんだ。どれが最初かは正確には覚えてないけど、多分“LOKKO”か“SIR HI TONE”だったと思う。
――そこではレゲエしかかっていなかった?それとも既にいろいろかかっていたの?
最初は、システムではレゲエだけがかかっていたね。後になってから、ファンクやソウル、それからヒップホップもかかるようになったんだ。
――最初に違うのもかけるようになったのは誰?
ブリストルでは80年代、“CITY ROCKERS”や“THE WILD BUNCH”、“THREE STRIPE”だね。
――そういう「レゲエ以外のものがかかる」のは、みんな最初から抵抗はなかった?
はじめ、システムでレゲエ以外の音楽が流れるのはちょっと奇妙だったね。でも、それがみんなにとって、そして大きなイベントにとって完璧だったんだ。でも、本当のルーツ・サウンドシステムはレゲエだけしかかけないけど。
――THREE STRIPEのサウンドシステムはどんな感じだったの? どういうのを掛けていたの?
THREE STRIPEのサウンドシステムは、セント・ポールズっていうブリストルの一区画を拠点にして、セント・ポールズ・カーニヴァルやパーティでプレイしていた。それから、他のシステムとは違って、グラストンベリーや(コーンウォールの)エレファント・フェアにも出ていったんだ。基本はレゲエで、ファンクやエレクトロ、初期のヒップホップもプレイしていたよ。
――ROBはピュアなルーツ・レゲエを作ろうと思いますか?
ピュアなルーツ・ミュージックをプロデュースしたことはあるよ。パリにしばらく住んでいた頃に、ドミニカのルーツ・レゲエ・バンドのルーツ・アルバムを2枚手掛けたんだ。
――ブリストルのレゲエ・シーンについて、ROBの視点でその現在までを教えてください。
僕が思うに、ブリストルのレゲエ・シーンは70年代末から一貫していると思う。その頃にはTALISMAN、BLACK ROOTS、SAFIE、それからRESTRICTIONといったライヴ・バンドがいたんだ。いまはレゲエだけをプレイするっていうライヴ・バンドはそんなに多くはないけれど、サウンドシステムもあるし、シンガーやDJも沢山いるしね。
僕に関していうと、70年代、学生時代にレゲエに魅了されてレコードを集め始めたんだ。BIG YOUTHやU ROY、それから後になってSCIENTISTを聴いてレゲエとダブのプロダクションを学んだんだ。そのころは主にセント・ポールズにサウンドシステムや“ブルーズ”クラブが沢山あってね。“ブルーズ”っていうのは、非合法な深夜の飲み屋/クラブみたいなもので、たいていは誰かの家の地下で開かれてたんだ。いつもレゲエDJがいて、大きなスピーカーがあって、みんな早朝まで踊ってた。他にレゲエ、そしてパンクもかけていたクラブはBAMBOOやDUG OUTがあったね。いくつかは、レゲエとパンクのバンドが、パンクスとラスタが入り交じったオーディエンスとイヴェントをやっていたんだ。
80年代のあるとき、僕はエコー・ユニットと中古のミキシング・デスクを買って、ダブ・サウンドを作ろうとしたんだ。僕はギターも始めて、レゲエ・ミュージカルの演劇集団に入って、イギリスとドイツをツアーした。それからRESTRICTIONに入って、ARIWAスタジオでMAD PROFESSORと12インチを録音したんだ。その頃、ブリストルのレゲエ・シーンは凄く大きくなっていて、定期的なサウンドシステムや、多くの人がレゲエ・バンドを組んでいたんだ。ジャマイカからの輸入のプレ・リリースのレコードを手に入れる場所もあったし、そんな新鮮なジャマイカンのレゲエとイギリス産のレゲエを同じくらい愛してたよ。
80年代の中頃、RAY MIGHTY、そしてTHREE STRIPE SOUND SYSTEMと活動を始めたんだ。この頃から、いくつかのシステムがレゲエと同じくらい他のスタイルの音楽もかけるようになったんだよね。それから僕はずっと、レゲエの影響とダブ処理を施した音楽を作り、ミックスし続けているという感じ。今でも、古いのも新しいのもレゲエが好きだし、DUB FROM ATLANTISのバンドでまたギターも弾くようになったんだ。
――ブリストルでレゲエやダブが根付いている理由をロブはどう考える?
ブリストルにはすごく大きなカリビアンのコミュニティと文化のミックスがあるからね。それに、ブリストルは港町だから他の都市よりも先にジャマイカからのプレ・リリースが入って来るからね。DUG OUTみたいなクラブではレゲエDJをフィーチャーしていたし、ブリストルの人々にとってレゲエは昔からポピュラーだったんだ。
――イギリスは特に、ピュアなルーツを継承する人とは別に、レゲエをベースに色んなスタイルで個性的な音楽を生み出している人たちが多くいると思うけれど、君たちも含め、それはどうしてだと思う?
レゲエには“ヴァージョン”て概念があって、ヒップホップには“ミキシング”って概念があるよね。僕が思うに、イギリスではその2つの概念をミックスさせて新しいスタイルを生み出そうとしていた人が多かったってことなんだと思う。僕はどんな音楽でも好きだし、色んな要素から影響を受けていると思う。ダブとレゲエは僕が音楽を作る大きなモチベーションだけど、僕は違う要素も含ませたいといつも思っているよ。
――ジャングル/ドラムンベースについて、ROBはレゲエのひとつのスタイルだと思う? それとも新しい音楽スタイルだと思う?
僕はいつでもジャングル/ドラムンベースはレゲエの親戚だと思ってるよ。というか、いろんなスタイルの音楽にレゲエ・ミュージックの影響を聴くことが出来るよね。
――それがジャマイカンたちだけでなく、白人の若い子たちにも浸透しているのはどういう理由だと思う?
現在のイギリスの若者文化っていうのは、ずっとあったイギリス人、アジア人、ジャマイカ人なんかのコミュニティから交ざりあった影響下にあると思う。違ったバックグラウンドのアーティストやプロデューサーがしばしば一緒に仕事をするから、若い世代からドラムンベースやダブステップというハイブリッドなサウンドが生まれて浸透してるんだと思うよ。
――ダブステップについて、ドラムンベースやジャングル、ガラージの影響があると思うけど、そういう新しくカテゴライズされるスタイルができるのを実感/意識(コレは新しい!とか)している?それとも、この流れはごく自然なものだった?
ダブステップはフレッシュな新しいイギリスのサウンドだよね。UKガラージュ、2ステップ、ジャングル、レゲエ、そしてテクノの発展型というのはその曲ごとにあるけど、その姿勢こそがオリジナルなんだと思う。曲ができる過程や、お客さんの反応もルーツ・レゲエやドラムンベースとは違うけど、それらのシーンから派生したものだよね。
――ダブステップにはルーツ・レゲエが好きなジャマイカンたちの反応はどう? 抵抗はないみたい? またそれをどう思う?
RUSKOの「JAH LOVE」のように、ほんとにルーツ・レゲエのようなダブステップもあるくらいだから。ブリストルでは、最近ルーツ・レゲエのサウンドシステムをフィーチャーして、隣の部屋はダブステップっていうイヴェント(註:DUBKASMのTEACHINGS IN DUBとPINCHのSUBLOADED→参照)があったんだけど、大成功だったよ。個人的には、色んな人たちを一緒にしてしまうものが好きなんだ。
――PINCHなど、若い世代とはどうやって知り合って、どんな交流があるの?
PINCHはブリストルで最も活動的なダブステップのプロデューサーだね。彼はふたつのレーベルを成功させているし、ダブステップのムーヴメントにもすごく貢献してる。彼は新しい音楽をプロモートしサポートするだけじゃなく、彼よりも先輩にあたるプロデューサーたちにも大きな敬意を払っているんだ。彼はベースに対する熱意があって、それが僕らが友達になった理由なんだ! 彼は僕のトラックを2曲、彼のEARWAXからリリースしたんだ。若い世代が僕の曲をチェックしてくれているのが嬉しいし、ありがたいと思ってる。
――現在のレゲエ/ダブのシーン、ドラムンベースやダブステップとその未来はどんな風になると思う? ROB自身についても教えてください。
レゲエはよりタイムレスな方法で前進し、発展し続ける力を持っていると思う。古いレゲエの曲は今でもフレッシュでエキサインティングだよね。レゲエは死なない!
――ROBがソロの名義を使い分けているのはどういう狙い?
RSDっていうのは、単にROB SMITH DUBの頭文字だよ(笑)。FLYNNが名付けたんだ。
――最近のお気に入りを教えて。
今はMALA(DIGITAL MYSTIKZ)の「LEARN FORWARD」だね。
――今後の活動をリリース予定は?
DUB FROM ATLANTISでギターを弾き続けたいし、この夏にはいくつかのショウがある。RSD名義でのリリース予定もある。
それから、TAYOとコラボレーションをしようという話しもしている。それから、カナダへ行ってRESINATORSというバンドのプロデュースする計画もあるんだ。


左:ANTHONY GUSSIE AND THE NEW EXAMPLES - Ras Dubba
右:LEE JOHN SMITH - Leaders Of The World
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