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THE WILD BUNCH

THE WILD BUNCH

雑誌『AFTER HOURS』でのブリストル情報連載“+44-(0)117”内コラム「温故知新」では、ミュージシャンの活動のルーツと現在を紹介していました。その第2回(08号/1999年)から、THE WILD BUNCHを。
DUG OUT CLUBTHE WILD BUNCH / FRIENDS AND COUNTRYMENTHE WILD BUNCH THE STORY OF A SOUND SYSTEM

いまさら紹介するまでもないと思うけど、MASSIVE ATTACKの前身にあたるグループが、このTHE WILD BUNCH。オリジナル・メンバーのMILES JOHNSON(後のDJ MILO)、GRANT MARSHALL(DADDY G)、NELLEE HOOPERがチームを組んでDJを始めたのが1982年のこと。MILESの旧友、WILLEE WEEことCLAUDE WILLIAMSが加入、当時はグラフィティ・アーティストとして鳴らしてたROBERT DEL NAJA(3D)が加入、肌の色に関係のないクラブ=DUG OUTの水曜日をメインに活動する。

それから数年、学校帰りのANDREW VOWLES(後のMUSHROOM/当時15歳)は、スキンヘッズの車から聞こえた音楽が頭から離れず、レコード・ショップに飛び込んだという。そのショップはREVOLVERという名前で、店員の名はGRANTだった。そして次の晩には、ANDREW少年はGRANTに連れられてDUG OUTに足を踏み入れ、ジュニア・メンバーとなる。

MUSHROOMはある雑誌のインタヴューでこう回想する。「オレらがクラブとかパーティに行くときは、まったくマッドないでたちだったね。MILESはスペースエイジ・ドレッドって感じだったし、7フィートのノッポのGRANTはズート・スーツにデッカイ帽子でキメてた。Dは70年代のコッポラの映画から出てきたみたいに白シャツにサスペンダーでオールバック。NELLEEは最新のデザイナーもので、オレは全身ニューヨークものでさ」。

初期のサウンドクラッシュにはTHE POP GROUPのMARK STEWARTが乱入することもあった。DEF JAMビートの上でファーマーズ・ソングやフットボール・ソングの類いを、あのディープな声で卑猥に歌ったりもしていたという。MUSHROOMは言う。「他にもクルーはあったんだけど、THE WILD BUNCHみたいにカット・アップしないで、スムースに繋ぐんだよ」。THE MOONFLOWERS?TRIPLANEのメンバーで生粋のブリストリアン、TOBY PASCOEもTHE WILD BUNCHの大ファンだった。「けっこう見たよ。コンテンポラリーなファンキー・ソウルとかレア・グルーヴ、ファンクにファンキーなヒップホップ……彼らは84年当時には2800円?3800円もするようなアメリカからの輸入盤12インチをかけてたよ。セットの中には、たとえばLL COOL Jの『I NEED A BEAT』のインストとかJAMES BROWNの『FUNKY PRESIDENT』なんかが2台のターンテーブルでループされて、WILLEE WEEや3DがMCとかラップするっていうジャム・セクションががあってね。それからグッド・ファンキー・パーティ・ミュージックに戻るんだけど、スクラッチとかMCはそのジャムに凝縮してるんだ。でっかいPAを通してスクラッチとかすると、ビートはマジで生々しくってさ、ホント、ハンド・メイド・ファンクの極地だったね」。

86年、MUSHROOMを除く5人は日本にやってきた。ファッション・ショウの音楽(そしてモデル)担当と、いくつかのギグをこなしたが、2ヵ月の滞在予定を半分消化するかしないかで3Dだけが帰国してしまう。何が起こったか?そんなことはここで書く必要はないだろう。ただ、これがきっかけでTHE WILD BUNCHが終焉を迎えたというのは間違いではない。

それからすぐ、彼らはISLAND RECORDSと契約を果たし、後に“ブリストル・サウンド”と呼ばれるスタイルの原型「THE LOOK OF LOVE」を収録したEP『FRIENDS AND COUNTRYMEN』をリリースする。ちなみにここで歌うのは、ADRIAN SHERWOOD率いるON-U軍団のSHARA NELSON。また、これ以前に『TEARING DOWN THE AVENUE』という12インチがプロモで流通したが、正式発売はされなかった。ERIC B & RAKIMやMORGAN McVEYなどのリミックスも手掛けた。

MILESとNELLEEはロンドンへ移り、残りはブリストルに留まった。MILESはそれから日本へ行き結婚。またMAJOR FORCEとも活動を共にした。それからニューヨークへ移り、ストリート・ウェアの日本向け輸出業を興した。音楽制作も行なっており、HARLEM HIGHというグループを手掛けつつ、自身もハウス・ミュージックを制作している。サントラ『HALF BAKED』(98年)でのTRICKYとのコラボレーションも記憶に新しいところだ。WILLEE WEEはMASSIVE ATTACKの作品やツアーに参加している。NELLEEはSOUL II SOULを経て、BJORKやMADONNAなども手掛け、現在では世界で5本の指に入るプロデューサーと呼ばれるまでになった。残りの3人=MASSIVE ATTACKに関しては説明不要だろう。

THE WILD BUNCH: THE STORY OF A SOUND SYTEMライナーノーツ翻訳
DISC SHOP ZERO: THE WILD BUNCH

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映像作家STEVE HALEYとNELLE HOOPERが制作したプロモーション用ムーヴィーからのキャプチャー画像。エレクトロのレコードを用いたDJ MIXに合わせ、DJ、MCing、ブレイキング、グラフィティというヒップホップの4大要素を表現した作品。DEF JAM系のヒップホップをスクラッチを交えながら荒々しく繋いでいくそのサウンドは、TACKHEADやMARK STEWARTなど0N-U SOUNDの作風にも通じるところがある。→音源はコチラ
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